設立25周年を迎えた日曜サークル

−10周年以後今日までの経過と将来−

東京支部日曜サークルは1978年6月に日曜サークル準備会として結成され(東京支部に承認されたのは翌1979年8月)、このたび25周年を迎えた。結成10周年までの経過はRAILFAN1988年4月号に特集されているので、今回は10周年以後今日までを総括するとともに、今後についても考えてみたいと思う。

●1988年という時代

私が日曜サークルに初めて参加したのは1988年12月例会であった。奇しくも、この例会は昭和時代最後の例会となった。当時をふりかえってみると、JR発足1周年を迎えて、各地で車両基地公開などのイベントが行われていた。青函トンネルと瀬戸大橋が相次いで開通し、「日本列島一本列島」というキャッチフレーズでPRされた。国鉄を分割しておきながら何とも皮肉なものだと思った。「日本を休もう」というJR東海の何とも奇妙なCMが流れたのもこの頃か。「鉄道新時代」と言われ、テレビでも鉄道を取り扱った番組が多数放送された。
レトロブームが起こったのもこの年。都電荒川線に6000形が復活、SLあそBOY、秩父鉄道パレオエクスプレス、JR北海道SLニセコ運転開始、JR東日本D51復活、オリエント急行の日本列島縦断など話題に事欠かなかった。
この年の秋から昭和天皇のご病状が悪化し、「歌舞音曲を控えるよう」自主規制が呼びかけられ、祭りやイベントの中止が相次いだ。そして、翌1989年1月7日に昭和天皇は逝去し、長かった昭和の時代にピリオドが打たれた。その日は冷たい雨が降っていた。テレビではバラエティーやドラマなどの放送が各局一斉に皇室特集へ切り替えられ、不謹慎な話だが、当日、街のレンタルビデオ店は大混雑だったそうだ。

●飯田橋会場当時の例会の様子

私が鉄道友の会に加入したのが1988年4月で、送られてきたRAILFANに「日曜サークル特集」が掲載されていた。しばらくは会報を読むだけで何もしていなかったが、いくつか部会に試しに参加してみた。その中で、日曜日の昼にやっている例会ということで日曜サークルにも出てみた。当時高校生だったU会員が「地方私鉄の小田急電鉄」という発表をやっており、内容が非常に充実したものであったのと、参加費が100円(当時)と安いのも気に入って、以後参加するようになり今日に至っている。日曜日がつぶれてしまうので、天気のよい撮影日和などもったいないと思うときもあり、現にイベント列車の走るときなどは、例会の参加者数は少なくなったりする。

当時飯田橋にあった東京都青少年センター集会室を例会会場としており、常時30〜40人程度の参加者があり、非常に活気があった(例会参加者数の推移については表1及び図1を、例会実施状況については表2を参照)。インターネットなどという便利なものがない時代である。例会に来ることは、情報を得る貴重なチャンスだった。テーブルをロの字形に並べ、各自ネームプレートを机上に掲げていたが、名前をなかなか覚えられなかった。また、情報交換タイムに順番に発言してもらっていたが、人数が多いので、時間中一人一回発言するのがやっとという状況だった。「例会で言い足りない話題は二次会で」ということで、会場下の"ウェンディーズ"(ハンバーガーショップ)へ場所を移して話をしていた。
例会内容は今も昔もあまり変わらないが、BL(ブルーリボン・ローレル)賞候補の批評は毎年4月に欠かさずRAILFAN持参で行っている。ただ意見を言い合うだけでは面白くないので、順位あて投票を、馬券の投票システムにヒントを得て行ったりもした。
その他はスライド上映会やビデオの鑑賞、会員の研究発表といったところである。今はやっていないがクイズ大会も、役員が問題を作り行っていた。優勝者には豪華商品も用意して大いに盛り上がったものだ。クイズをやると、必ず答(解釈)に異議を唱える人がいるので、問題と答を考えるのも結構気を使うものである。
クイズ大会についてはかなり工夫をこらした。選択問題で掲げる番号札を自作し、あるいはバラエティーショップで「早押し器」なるものを購入して使ったこともある。ところが、あまり精度の高いものでなかったらしく、ボタンを押したのに接触不良でランプがつかないこともあり、結構熱くなる人の対処には苦労した。
ところで、人数が多いと、中には自分勝手な人がどうしても出てくるもので、司会者の許可を得ないで発言する人はいつの時代も困りものである。
 例会会場の取得にも苦労した。例会開催の2ヶ月前の初日に会場に出向き、抽選をしなければならないのだ。会場使用料が無料でかつ交通至便なので、申込者が非常に多い。そのため、第3日曜日午後の予定を再三に渡り変更しなければならなかった。

●テレコムセンターへの移動以後

1996年11月をもって東京都青少年センターは閉鎖、翌年から臨海副都心のテレコムセンターへ移転することになった。当時、バブル経済の破綻による臨海副都心開発計画の大幅な見直しを迫られ、空きオフィススペースを何とか埋めなければならない状況になっていた。
そこで、東京都が関与する第3セクターが建設したビルに東京都の施設を入居させる、という苦肉の策を取らざるを得なくなり、そのあおりで青少年センターも移転させられたのだ。ゆりかもめはすでに開通していたものの、当時は周りに建物が全くなく、はっきり言って使いづらく、交通費もかかり、集会室が有料化されたこともあり、青少年センターの利用率は極端に落ち込んだ。しかし、そのおかげで、皮肉にも日曜サークルは本来の第3日曜午後の開催が確保できるようになった。
場所が不便になったためだけではなかろうが、参加者数が減少しはじめたのもこの頃である。テレコムセンターへ移動後、参加者数が30人台を割り込み、以後元に戻ることはなかった。また、新人(年少者)があまり入ってこなくなり、平均年齢が上昇し、本来の利用資格から外れるようになり、会場利用の継続が難しくなってしまった。しばらくの間は、飯田橋時代にサブ会場として使っていた国立オリンピック記念青少年総合センター(以下「参宮橋会場」という。)その他の会場を転々とする状況が続いた。参宮橋会場もリニューアル工事のため2年間ほど使えなかった時期があり、この時は毎月会場が変わることも珍しくなかった。参宮橋会場の工事も終わった現在では、例会会場も安定的に確保できるようになった。しかし、この不安定な時期の間に、例会参加者が20人を割り込むようになってしまい、現在まで回復していない。

●例会以外の行事と例会誌「休日運転」

日曜サークルでは、毎月の例会以外にも行事を数多く行ってきた(例会以外の行事については表3を参照)。一例として、日帰り小旅行を、その時々で注目すべき場所を選んで実施している。併せて、青春18きっぷのバラ売りも希望者を募って行っていたが、5回分が一体化されてこちらは不可能になってしまった。
支部受託行事として各種見学会も手がけていたが、近年では参加人数が減ったこともあり、そのような余裕がないのは残念である。 
例会誌は、1980年1月の東京支部新年会で配布された「日曜サークルPR版」に端を発する。翌月以降、「日曜サークル」の名称で発行されていたが、同年10月号(10)より「休日運転」の名称に変わり、以後、現在まで継続しており、随時別冊も発行されている。当時と今を比べると、ワープロの進歩(というかワープロ専用機からパソコンへの移行)によりだれでもきれいな原稿が作れるようになってきたことに、改めて感心する。カラーコピーも身近になり、当サークルでも「休日運転」の表紙に使っている。
なお、毎年夏に行われている東京支部の納涼会では、PR版を作成するとともに、「休日運転」バックナンバーの頒布を行っている。

●日曜サークルの現在と今後

現在の日曜サークルの毎月の参加者数は大体10数名に落ち着いている。例会内容は、クイズ大会がなくなった以外それほど変化はないが、定時総会のほかは、BL賞候補車両の検討会、GW・夏休み・冬休みの活動報告、スライド・ビデオ上映、Nゲージ運転会などである。
見せたい写真や資料はフォトビジョンでテレビ画面に映し出している。
今後はプレゼンテーションにもっと工夫をしていきたい。映像機器で利用できるものがあれば導入するとともに、発表をスマートに行えるようにしたい。これは発表者にも協力を求めなければならないことだが、見る(聞く)側の立場に立って発表するよう心がけたいものだ。
写真の順番を整理して見やすくしたり、ビデオだったら事前に編集をしておくことである。よく自分で撮ったビデオを見せるのに、全く編集をせずに不要部分を早送りをしながら見せる人がいるが、見ている側が非常に疲れるので感心しない。
模型運転会にも力を入れていきたい。日ごろ長編成の列車を走らせる機会はあまりないので、例会の中で思いっきり楽しんでほしい。組立式線路を配置するだけでは物足りないので、筆者作成の駅モジュールをエンドレスの一部に組み込んで走らせている。今後も年2回は行う予定なので、普段当サークルに参加されていない方も、ぜひ来てほしい。
積極的に活動内容のPRに努め、参加者数の拡大(復元)を図りたいと思っている。
 また、記録をしっかり取る必要性も痛感している。ON時代の巨人軍で、王は記録を残した選手、長島は記憶に残った選手と言われた。しかし、今回、この原稿を書くにあたって、記録に残っていないものを思い出すのはなかなか困難だとわかった。だから、私たちはしっかり記録をつけていきたい。例えば、研究発表を行った月でも、全く「休日運転」に記事がないものは、今では何が発表されたのか残念ながらわからない。発表をする方は、項目の箇条書きだけでもよいからあらかじめ用意してほしい。また、例会の事後報告という意味で、前月の内容を簡単に「休日運転」に載せることも続けていきたい。
本部総会や東京支部総会で若年層を中心とする会員の減少が報告される中、参加者の拡大は難しいことではあるが、インターネット時代にあっても、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを図る意味は大いにあると思う。毎月の例会で感じることは、人間は発表欲があるということだ。しゃべりたいことがある方は例会に気軽に参加してほしいと思う。
最後に、今まで例会運営に携わってきた会員各位に感謝の意を表すると共に、今後ともご協力をお願い申し上げる次第である。 

(日曜サークル代表)

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